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180件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1989-10-31 第116回国会 衆議院 予算委員会 第8号

朝鮮総連前身民戦は、昭和二十七年ごろ、皇居メーデー事件、吹田騒擾事件大須騒擾事件等に参加した。昭和三十年から現在まで、民団との間でいろいろな問題をめぐり抗争事件を起こして多数の検挙者を出している。さらに、北朝鮮は従来から我が国に秘密工作員等を密入国させており、朝鮮総連関係者がこれに関与しているというたくさんの事例がございます。

山崎拓

1989-10-20 第116回国会 参議院 予算委員会 第1号

朝鮮総連前身であります在日朝鮮統一民主戦線、いわゆる民戦は、昭和二十七年ごろ、皇居メーデー事件あるいは吹田騒擾事件あるいは大須騒擾事件などに参加しております。それからまた、昭和三十年から現在まで、民団との間でいろいろな問題をめぐりまして抗争事件を起こしまして、多数の検挙者を出しております。

城内康光

1987-05-26 第108回国会 衆議院 法務委員会 第5号

まず、法案の第九条の関係お尋ねしたいと思うのですが、先ほど法務省岡村刑事局長の答弁の中で、現在刑事参考記録として二百八十件保存をしておるというお話がありましたけれども、この中には、かつて第百二国会、昭和六十年四月十日のこの法務委員会で私ども共産党林吾郎議員が質問をいたしまして、松川事件とかメーデー事件とかチャタレー事件その他有名重大事件記録が保存してあるかとお尋ねをしたわけでありますが、それも

安藤巖

1985-04-10 第102回国会 衆議院 法務委員会 第13号

それから、メーデー事件もありましたね。騒擾事件で起訴されたのが騒擾ではないということになった。それから、チャタレー事件もありましたね。これは芸術であるかあるいはわいせつであるか、出版の自由に関する重大な問題。それから、二俣事件。また政治的な問題では、昭和電工疑獄事件あるいは造船疑獄事件とありましたね。私が今言った記録をあなた、覚えていますか。

林百郎

1981-02-27 第94回国会 衆議院 法務委員会 第2号

刑事事件では、たとえば松川事件メーデー事件、吹田事件等、戦後間もないころごく少数の事例が見られるようでございます。  事案が複雑困難で審理長期になるような事件も確かにございますが、このような事件を担当する裁判官につきましては、異動等によって訴訟の遅延を招くというような事態を避けるよう、できる限り人事の面でも考慮されているというふうに承知しております。

梅田晴亮

1978-03-23 第84回国会 衆議院 内閣委員会 第8号

私はこの三十人というのは一体どういう人たちを指しておられるかわかりませんが、私が調べたところでは、戦後にはメーデー事件で一人ですね。これは東京弁護士会で、懲戒相当ということで綱紀委員会決定になった。懲戒委員会で、いろいろな事情を考慮して懲戒しないということになった。それから最近では東大事件のときですね。これはいろいろな類型がありますが。

栂野泰二

1976-05-11 第77回国会 衆議院 法務委員会 第8号

その運用を見ますと、被告人が死亡して公訴棄却になっていたのに、同一事案で起訴されていた共犯者無罪確定したため、公訴棄却になっていた死亡者について刑事補償がなされた場合(例、メーデー事件)、起訴された事件が罪にならないことが判明して公訴が取り消され、公訴棄却裁判確定して刑事補償がなされた場合(例、日教組事件)などのように、きわめて重要な運用がなされています。  

諫山博

1976-05-11 第77回国会 衆議院 法務委員会 第8号

それからあとは、四十八年の一月十八日とそれから四十八年七月十二日に、東京高裁それから東京地裁でそれぞれメーデー事件に関連しました補償がなされておりますが、この補償は四十八年一月十八日の分は三十万四千二百円、それから四十八年七月十二日の分は、これは非常に人の数が多うございまして、十五名でございます。これは個々的にはあれがございますけれども、大体一人三、四十万円というところの補償がされております。  

岡垣勲

1975-03-18 第75回国会 衆議院 法務委員会 第13号

があった者で二十五条の条件に当たる者が補償をなされた事例を顧みますると、単独で当該決定があった、公訴棄却判決があったということで、当該判決を受けた者が、おれは本来は無罪であったんだということを主張して認められたということのために、決定手続において審理をしてそして無罪ということを明らかにするに当たりまして、実質的な審理をして行ったという場合は絶無と言っていいのでありまして、例といたしましては、メーデー事件

安原美穂

1975-02-12 第75回国会 衆議院 法務委員会 第1号

しかも、私どもが非常に重視いたしますのは、この大須事件というのは、昭和二十七年四月二十八日にサンフランシスコの講和条約が発効いたしまして、日本が独立したと言われた後、また当時、破壊活動防止法というのが必要であるということで立法化されようとして、これに対する反対の運動が非常に盛んであった時期でありまして、しかもメーデー事件というのがその年の五月一日に東京で起こりました。

青柳盛雄

1974-05-22 第72回国会 衆議院 法務委員会 第29号

それから騒動の罪につきましては、広がる部分ということになりますと、結局最近におきます騒乱現行法騒乱の罪に関する判例の動向が地方の静ひつを害するという、メーデー事件あるいは新宿のあの学生のデモのときの騒動のような相当大規模なものでないと適用にならない傾向にあるので、そういう大規模なものがこの騒動の既遂の形態であるとすれば、その段階に至らない準備の段階でこれを制圧する罰則を設けることが治安維持上相当

安原美穂

1973-06-14 第71回国会 参議院 法務委員会 第10号

最高裁判所長官代理者牧圭次君) 四十七会計年度に起こりました実績で考えてみますと、メーデー事件で二千九百十九万円支給されておるわけでございますので、これだけを除きましても一応予算額で間に合っておるということになりますが、そのほかに辰野事件で二百二十七万一千百円、仁保事件で六百六十九万三千七百円、それから吹田事件もございますが、二十万六千七百円ということで、約三千万をこえる分がこの事件で支給されておるわけでございますので

牧圭次

1973-06-14 第71回国会 参議院 法務委員会 第10号

鈴木強君 メーデー事件補償とかあるいは辰野事件補償というのは、予算にきめられた——四十七年度予算というのは二千二万六千円が前年度予算でございますね、四十七年度。ですから四千六百万円から足りない分は、これは予算総則上何か流用したと思いますけれど、それではメーデー辰野と抜いてみたときの金額というのはどうなのか。二千二万でこれは間に合っていますか。予算実績との関係ではどうなっていますか。

鈴木強

1973-06-14 第71回国会 衆議院 決算委員会 第16号

つまり裁判のやり方は、御承知のように三鷹事件松川事件あるいは青梅事件、さらにはメーデー事件とか辰野菅生事件白鳥事件に見られるように、当時の裁判官——私は裁判官の皆さんは非常にまじめだと思います。大多数の裁判官はきわめて適正な裁判をしておられると思いますけれども、この刑事事件に見られまするようなことがこの民事事件——いわゆる日本文化住宅協会刑事事件松川事件と同じような黒い霧なんです。

土橋一吉

1973-06-05 第71回国会 参議院 法務委員会 第8号

そのような長期にわたる——五年、六年あるいはさらにもっと長く十年、さらに、極端な例ではございましょうけれども、たとえばメーデー事件のごときは二十年、辰野事件のごときは十五年、そういう期間をどうして耐えることができるのであろうかということでございます。  これは公務員について申しましたけれども、民間の企業でもそうでございます。

大野正男

1973-04-17 第71回国会 衆議院 法務委員会 第19号

これも私ども弁護人にもなっていた関係がありますので関心は高いわけですが、それはメーデー事件それから辰野事件ですが、これの刑事補償決定を見ますと、ただ結論的に、「一日千三百円の割合で計算した額を補償する」ということしか書いてないんですね。なぜ千三百円の割合にするのかということについては全然触れていないわけです。諸般の事情をしんしゃくしなどということすらも書いてないんですね。

青柳盛雄

1973-04-13 第71回国会 衆議院 法務委員会 第18号

特に佐野さんはすぐれた推理作家として記録などをごらんになって、この辰野事件フレームアップ、しかも幼稚な証拠や証言でフレームアップをやったから、結局はぼろが出て、二十年ぶりとはいいながら失敗したんだ、こういうフレームアップが権力によってつくられているというところにもまた憤りを感じていらっしゃるのではないかと私は推察をするわけなんですが、メーデー事件もその点ではあまり変わりはない、むしろ同質だと思うのですが

青柳盛雄

1973-04-13 第71回国会 衆議院 法務委員会 第18号

こういう面から見まして、また、当時、その少し前にありましたメーデー事件被告もやはり千三百円を受けておりますけれども、結局これは規定で、千三百円という規定があるから裁判所のほうでもこれしか出さないわけで、本来裁判官もこれでは非常に少ないということはお感じになっておるからこそ、わりに早い期間に千三百円がぽんぽんと出てしまったのではないかと思うのです。

佐野洋